そんなわけで音楽活動もピークになった頃、俺の目標は自動車整備士から「音楽での活動」に軸を置くようになった。
学校も休みがち。呼び出しどころか自宅に先生がきたw
そのときの先生の言葉は今でも覚えている。「恩師の言葉」だ。
「別に整備士にならなくたっていいじゃないか。卒業したってまだ二十歳なんだぞ。どうしても学校に通えない事情があるならともかく、そうじゃないならとりあえず資格だけとって卒業したらいいんじゃないか。」
なんかすごく楽になった言葉だった。改めて書き出すと別にたいしたこと言ってねえなと思うんだけど、当時は俺は音楽やりてえから学校やめる!って言ってて、でもなんとなく決断にはためらっててダラダラ学校に行かなくなってみたいな感じだった。
それからはけっこう大変だった。足りない単位を補習で埋めるために毎日学校行ってみんな帰った後も残って受けた。補習には金が別途でかかる。親にも迷惑散々かけた。
にも関わらず、なんとか進級した次の年にも同じことを繰り返して、夏休みにも毎日学校いって資格とるために人生ではじめて本気で勉強した。一日10時間以上を半年以上続けた。
その甲斐あってか、後から結果だけみれば専門学校で取得できる全ての資格を取得。
履歴書だけ見れば、専門学校卒ということだけで、休みがちで補習100時間以上受けてたとかは書かれないわけだし、資格の欄には書ききれないほどの20以上の資格をもち、自己PRにも堂々と書ける。
履歴書だけではわからない人間性のいい見本だ。
結局のところ整備士にはならず、今の会社に落ち着いてるわけだが、やはり当時の先生には感謝している。
いざとなれば整備士として働く基盤を作れたわけだし、なによりも当時ものすごく勉強したってことは今の自分にとってものすごく大きな礎になっている。
卒業の日、先生は俺を抱きしめてくれた。
他人に抱きしめられたことなんて、あのときが初めてだ。涙がでた。
卒業後、四年制を選択した友人たちに会いにいくために卒業式の日にサプライズで会いにいった。
先生にも会った。
俺に会うなり満面の笑みでやっぱり抱きしめてくれた。そのときも涙がでた。
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